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TOEICもできない中学英語教師

教育業界からまたまたショッキングなニュースが舞い込んで来た。京都府が公立中学の英語教師に実施したTOEICのテストで、合格点とされる730点(英検準一級)を取れた教員がたった二割しかいなかったことが判明した。最低点はなんと280点だった。


http://www.sankei.com/smp/west/news/170211/wst1702110038-s1.html


これは正直酷いと思う。勿論、この結果は京都の教員のレベルが低いということを示唆しているわけではなく、恐らく他の都道府県で同じような取り組みをしてもさして変わらない結果になっただろうと予想できる。公立の教員がいかに努力していないか、意識が低いか再び世間に恥を晒す結果である。


勿論、TOEICでは本当の英語力は計れないかもしれない。英検と違い会話をしなくても良い点が取れてしまうし、所謂『受験英語』の集大成みたいなテストがTOEICではある。しかし、この730点という点数はそれなりに英語を勉強してる学生でもちょっと頑張れば取れる点数だし、決して高いハードルではない。私も大学の就活前に1ヶ月勉強して受けて720点だったし、留学経験がある友人や英文科の後輩達は皆軽く900点は越えていた。海外勤務のあるサラリーマンでも700点ぐらいは最低ラインだろうし。


アメリカ人でも分からないような文法の問題は確かにあるかもしれない。しかし、リスニングとリーディングは英語を教える立場の人はほぼ満点取れないとおかしいし、中学教師が教えなきゃいけないのってそもそもTOEICみたいな受験英語であるはず。受験英語ができても話せないと意味が無いのはごもっともだが、その教師達が作るテストの内容も英語の実用性とは無縁な文法や、リーディングに特化した劣化版TOEICみたいなものなのだから、それを英語を専門とする教師ができないのはおかしいと言わざる得ない。


私は中学の時、全く英語がわからなかったのだが、今思えば先生もそんなに英語の事わかってなかったんだろうなって思う。そんな教師に教えられる子供は可哀想である。とりあえず、最低点の280点だった教師は英語を教える資格はないと思う。280点って、その教師のクラスの子供に受けさせても最低点クラスの最悪の点数、舐めてるとしか言いようがない。


なんでもそうだが、免許とか資格ってほんとに意味のない制度だなって思う。一度取ってしまえば、その後どれだけスキルが劣化しようが半永久的にそのスキルを専門的に使うことが許されるのだから。例えば、ペーパードライバーとかは運転していないのであれば免許更新の際に実技テストをしてスキルの確認をするべきだし、教員免許に関しても数年に一度はその専門的なスキルが子供を教えることができる水準にあるのかどうかチェックする必要はある。普通はその免許を使い仕事をしているのであれば、スキルは右肩上がりに上がっていくはずなのであるが、それが下がって、お客に迷惑をかけるレベルにまで落ちているのであれば免許は剥奪、再度取り直しをさせるべきである。



この話は何度もしてしまうが、やっぱり学校の先生って所詮社会に馴染めなかった変わり者の集まりという印象が強いし、勝ち組か負け組かで言ったら負け組、リア充か陰キャラかで言ったら陰キャラの人が多いのが事実だと思う。子供を教えるって、本当に大事なことだから、本来そういう人がやるべき仕事じゃないと思うし、やるんだったら先生も努力して競争して成果を出さなくてはいけないとダメだと思う。英語を教えているのに、TOEICで700点も取れない、それではダメだろう。


でも、既存の先生達にいくら競争を促してももう手遅れだと思う。考えてもみれば、学校の先生って本当に社会との繋がりが無く、数年、数十年、学校という閉鎖された世界にいてその世界の常識が当たり前だと信じ込んでいる。それを外部の人間がとやかく言った所でどこ吹く風である。だから、今の子供達は塾で勉強を教えてもらい、ネットで社会というものに触れようとするのである。そんな風にある意味学校に何の期待もしないのも1つである。


教師のレベルを上げるというならば、それはやはり成果主義の人事考課を導入するしかない。これは私はずっと当たり前だと思っているのだが、例えば自分のクラスの子供達をどれだけ良い大学に進学させたか、どれだけ休み少なく皆通わせることができたか、親御さんからの評判、部活動の成績、等数値化できる事はいくらでもある。それにより待遇や職位に差をつけるべきである。評価の低い教師は低学年しか教えられないとか、頑張ってる人が認められる世界に。普通の民間企業なら当たり前も当たり前のことであるが。


そして、これも何回も言ってるが、やはり教師はもっと社会を知るべき。そもそも、サラリーマンとしてある程度のキャリアがある人しかなれないとか、数年に一度は現場を離れてインターンシップ等に参加して職業経験を味わうとか、色々やり方はあると思う。どうせ受け持った子供達の大多数は社会に出て、サラリーマンになると言うのに、社会で働いたことがない教師が一体何をアドバイスできるというのだろうか。何故良い大学に行ったほうがよいのか、何故勉強しなくてはいけないのか、社会に出るとこういうスキルがいるとか、今の時代はこういう個性を持った人が必要とされているとか、そういうのは本来学校の先生が教えなきゃいけないことであると思う。


現場の先生の負担が大きいのであれば、先生の数を増やす必要もある。担任と各科目の先生と部活動の顧問は全部分担して別々な人が担当するぐらいでも良いと思う。


とにかく、英語の教師がTOEICで730点も取れないというのは恥ずべきこと。このような事がニュースになるのは良いきっかけにはなるんじゃないかと思う。

またまた転勤が決まった

何度経験してもこの瞬間はなかなか慣れることができない。それは、転勤を言い渡される瞬間である。


今年の4月より、また別の場所で働くことになった。20代最後の転勤になるかと思うが、これで次の職場が6部署目となる。平均一年ちょっとで、人事異動をしていることになる。私は自分が仕事をできる人間だとは思わないし、何かを成し遂げてきたわけではない。しかし、この転勤の数、経験だけは恐らく他社、いや自社も含めて同年代の中ではそれなりに誇れる事じゃないかと思う。なんやかんや転勤の度に自分は強くなる、人間的に大きくなるとも思う。


最初は関東で次が関西でその次が四国、そして今東海で、また今度は関西に戻る。このまま今の仕事を続けていれば、そう遠くない未来に海外にも行くことにもなるだろう。私も歳をとったものである。


転勤に完全に毒されてしまったのか、今回の移動を聞いた際、誰もが知っている地名であったため、逆にテンションが下がってしまった。転勤族あるあるなのかはわからないが、普通に生きていたらなかなか行かない地域に住む方が楽しみである。愛媛の今治に決まった時はゾクッとしたなぁ。


これも転勤族だから言える事だが、どんな地域も旅行で行くのと、実際に住んでみるのは全然違う。私はこのままのペースで転勤していけば、旅行雑誌すら1人で作れてしまうのではないかと思う。どうせ、あと二年もすればその地を離れると思うと全てが新鮮である。


私のこの日記の中でなんやかんやずっと注目記事の一位になっているのも、前回転勤になった時に書いた地元就職を批判する記事である。これはやはり、他の記事に比べて自分が実際に経験している事が内容になっているからこその反響なのだと自分では思っている。今でもその考えは変わらないし、最近はマイルドヤンキーとかいう地元指向者を表す言葉も出てきた。人生の後半に地元でゆっくりというならばいいと思うのだが、何も20代からそんな安定志向になる必要はないと思う。別に東京が全て良いと言うわけではなく、『自分の存在を誰も知らない集団の中にいきなり1人で入っていく経験』が何にも変えられない財産となる。これは私もいつまで経っても慣れないし緊張するが、初対面の人と対する能力は飛躍的に上昇するし、いきなり知り合いが数十人増える喜びも同時に味わうことができる。


特に仕事の場合はただの仲良し集団というわけではなく、成果を出さなくてはならないから余計に周りの目が気になり、緊張する。私の場合は管理職として移動、既存の人員より立場は上になるのでさらに緊張する。でも、これが人間を強くする。


プライベートも新たに開拓していかなくてはならない。学生の頃、そこまで仲良く無かったけど連絡ぐらいは取れる人がもしその地域にいればたちまち絆は強くなるし、地元にいれば何も思わなかった、ジムに通う他の人達やよく買い物する店の人にも少しは仲良くなろうとしたくなる。そこから何かが生まれるかもしれない。


そんなこんなで、転勤はすればするほど良いと個人的には思う。勿論、お客様の立場から見れば、そんなに担当がコロコロ変わるのはどうなの?というのはあるが、あくまで自分のことだけで考えれば非常に良い経験となる。


それにしても、20代の終盤を迎え、自分みたいな内気でアピール力0の人間でも何やかんや真面目に続けてれば出世できるもんなんだなと感慨深い。大学の時思い描いていた未来とは勿論違うことは多いが、社会への適応力0だったあの頃から比べれば真っ当な大人になってるのかなとは思う。自分は絶対に出世しないタイプだと腐りかけていた時期もあったが、腐らず続けていて良かった。自分の勝負できる所で勝負するというのは勿論大事だが、自分の苦手だと思っていた分野でも頑張れば思わぬ成果を生むことがある、それがこの20代の教訓である。


私みたいな内気で自己主張できないタイプの若い人って結構多いと思うのだが、見てる人は見てると思って自分なりに素直に頑張ってほしい。ほんとに見てる人は見てるから。この歳になってそう思う。


しかし、別れは本当に慣れない。一年半しか居なかったのに、またまた私は今の職場が大好きである。いつもは辞令が出て1ヶ月ちょっとで移動だからあっという間だったが、今回は2ヶ月程まだ時間がある。どんな気持ちでこの職場の人達と頑張って行けば良いのか、いつものことながら切ない気持ちになる。

パチンコ屋のサクラ、実在した

大阪のパチンコ屋の店長がネットで知り合った女性に自分の店の高設定台を教え、所謂サクラとして打ってもらう代わりに分け前の半分を貰うというナンパをしていたlineが流出した。これにより、パチンコ屋にサクラがいることがいとも簡単に発覚した。


http://gogotsu.com/archives/26142


この女性はグッジョブ!としか言えない。こういうハニートラップは今後世の中でどんどん流行ってほしいと思う。そして、私も微力ながらパチンコ屋撲滅の為にこういった記事を書き拡散することで協力したい。


問題は3つ。まずは今回の件でとりあえずスロットに関してはサクラというのは都市伝説でも何でもなく、実在することが判明した。ただでさえほとんど無い設定6という台が、実は店側が用意したサクラが占拠しており、店は売上を落とさないで他の客に対して出てる感を演出していた。サクラ側の人間も普通に働くよりも楽に金が稼げるし、今回のように店長が気持ち悪いナンパをしなければ、自分の利益の為にも口外することはないだろう。よって、このような事は全国津々浦々のパチンコ屋で行われている可能性が高い。


また、これも都市伝説であるが女性の方がパチンコ、スロットで勝ちやすいというのもあながち嘘ではなくなってくる。パチンコ屋の大多数の店長が男、しかもどこにも就職できない女性からも相手にされない男、今回のようにサクラの金を利用して女性をナンパしようとしている人も多いだろう。そういうやらしい欲求は抜きにしても、店側からすれば女性客を取り込めるし、店の印象も良くなるからサクラにするなら女性を選ぶ可能性は圧倒的に高い。そういった職業につきたいと思うのもいずれは結婚するから、仕事は繋ぎで良いという女性が圧倒的に多い。これらの事より、サクラはほぼ女性である可能性が高く、女性の方が勝っている印象が強くなる。


次に、パチンコ屋の店長クラスはやはりこのようなクズでもなれてしまうレベルだということが露呈した。私は常々パチンコ屋にいる客も、店員もクズだと言っているが、店長クラスにでもなれば少しはマトモなのかなと思っていた。しかし、やはり違った。今回の一連のラインのやり取りを見ていたら吐き気がする。気持ち悪い。不細工な顔で、社会的ステータスも皆無なおやじがよくこんな強気で会ったこともない女性にセックスを要求できるなと。普通の感覚ならば、lineなんて証拠が残るもので店長という立場の人間が、こんな事をしたらどうなるかというリスク意識を持てるはずだが、そんな事すらできない人でもパチンコ屋の店長にはなれてしまうようだ。そして、こんな男を出世頭として旗揚店として店長にしてしまう会社の体質。酷い。


そして、パチンコの方は実際どうなのか。スロットと違い、パチンコは設定なるものは存在しないはずであり、あくまで運と釘(違法だが)の勝負となっている。その釘がそもそも客が勝てるような状態にはなっていないし、運にあたる台のスペックも年々悪くなっている。それだけでも客が勝てる要素は無いのだが、それに加えて設定なるものがあったらもはや出来レースもいいところ。そんな設定、大当たりの制御があるのかはっきりしそうな規制が密かにされており、静岡のパチンコ屋が摘発された。


http://blog.livedoor.jp/slotmania222/archives/1064134112.html


この摘発は所謂ベース30規制というものに違反してされたもの。要は1000円で最低限このラインは回転するような釘の台しか作ってはいけないという規制。メーカーは一応その規制通りに検定を通している為、店でその基準通り回らなければ店が違法な釘調整をしてるんでしょという規制。この規制により旧基準の台は昨年撤去されており、今店にあるほとんどが新基準台、本来であればそれらの台は全てベース30回るようになっていなくてはならない。


このベース30というのがミソで、もし本当にその回転数回れば、新基準台のボーダーを大きく越える回転数になるため、客の勝率は大きく上がる。全然勝てる。そのため、全国のほぼ全てのパチンコ屋はこの規制を違反して釘を締め上げている。今回、警察が本気になり片っ端から摘発して釘を基準通りにしていったときがパチンコの本当の闇も暴かれると思う。まぁ、警察は本気にはならないんだけど。


ベース30回る釘になり、店の利益が横ばいであればそれはもう設定、出玉制御は確定である。今までよりたくさん回るようになったから今度は設定で当たりにくくする。今まで以上にハマりが大きくなり、もしかしたら、大当たりのラウンド振り分けでよりわかりにくくするのかもしれない。とにかく、釘が回るようになっているのに、店の利益が減らなければ遠隔の実在も確定である。



長々と書いてしまったが、何故私がパチンコ屋の事を定期的に書いてしまうかというと、やはりパチンコ業界こそ日本の最大の癌だと思っているからである。パチンコにハマり人生終わった知り合いもたくさんいるし、街でパチンコ屋を見かけて客が多いと腹が立つ。東日本大震災の時も普通に馬鹿みたいな電気使って営業してたのを見てさらに嫌いになった。さっさと片っ端から潰れてほしいのである。

これからも、パチンコ屋にとってマイナスなニュースがあればどんどん記事にしていきたいと思うし、何人見てるかわからないが、私の記事を見て少しでもパチンコ屋に行く人が減ってくれればと願う。

いじめられた経験を思い出す

近頃、また世間でいじめ問題に関するニュースをよく目にするようになった。福島から自主避難している子供が同級生から150万かつあげされて、教育委員会がいじめではなかったと言ったことは様々な議論を巻き起こしている。


私はそういうのを見て、いつも思う。所詮、机上の空論だと。テレビに出てるような著名人は恐らくいじめられた経験もなければ、むしろいじめる側だった人の方が多いのではないかと思うからである。いじめ問題を語るには、いじめられるということがどれだけ苦しく、人生にもリスクが大きいか経験者の意見も聞く必要があると思う。    


私は自分で言うのも何だが、いじめる人の気持ちは全くわからないが、いじめられる人の経験はよくわかる。自分も小学生の頃いじめられていたからだ。


あまりに昔の話でほとんど覚えてないが、思い出そうとするたび、腹が立つ。私は小学生の頃、確かにいじめられていた。友人だった3人ぐらいから。思い出せるのは、例えば、休み時間に球技をしている時にボールを遠くに投げられ取りに行かされたり、当時太っていた為デブ呼ばわりされたり、あとは顔がすぐ赤くなることもいじられたり、乾燥肌によるふけもなんか言われてたかな。そんなにめちゃくちゃ辛いという記憶は無いのだが、先生が自宅訪問か何かで親にいじめのことを話してたのと、あといじめが原因かはわからないが当時抜け毛がひどかったことも覚えている。


私が幸いだったのは、その友人以外にもたくさんの友人がいたことだった。いじめてきた奴らは高学年から仲良くなったが、それ以外の友人はもっと前から付き合いがあった。基本はそのいじめてきた友人と一緒にいたが、たまに地元の友人といる時間は子供ながらに安心していた記憶がある。クラスのそんなに仲良く無い人達も私がいじめられてるんじゃないかと先生に言ってくれた。私はいじめられた経験のある人の中ではかなり恵まれたほうだったに違いない。思い出すと、彼らの勇気や正義感には今更ながら感服する。


しかし、先生に言ったところで何かが解決したわけでもなかった。いじめがエスカレートすることもなかったが、小学生を卒業するまではいじめてくる友人とは付き合いがあった。


最終的には中学になり、私が彼らを裏切る形で縁が切れた。その友人らとはよく野球をしており、中学に入ると皆で野球部に入る話を良くしていた。しかし、私は結局彼らと一緒にいるより、他の友人と一緒にいたかった為野球を辞めた。運良くクラスも地元の友人達と一緒だった為、いじめてきた奴らとはそれできっぱり縁が切れた。まぁ、その後もちょくちょくあった気がするがあまり覚えていない。


当時確かにいじめられて辛かった。学校に行きたくないと真面目に思っていたし、3ヶ月に1回ぐらいは仮病で休んだりした。かといって孤独になる勇気もなく、何となく我慢して友人関係を続けていた。死にたいと思ったことはないが、確かに辛かった。


いじめられた経験は未だに私の人生に影響を良くも悪くも及ぼしている。全てをいじめのせいにしたくはないが、例えば、①常に鬱っぽい、元気がない②人間関係が嫌い、チームプレーが苦手③人に注意できない、遠慮してしまう④人を小馬鹿にしてる人を必要以上に軽蔑してしまう、判官贔屓 等私という人格を形成するのにいじめられた経験は確かに影響している。子供の頃に辛かったら、正直、なかなかその後の人生も明るい未来は想像できない。さらに言うと、いじめてきた友人のせいで私は大好きな野球も辞めて別の道を歩むこととなった。野球漬けで勉強もしない学生生活になっていたら、良くも悪くも人生変わっていただろう。いじめというのはそれぐらいその後の人生にも影響を及ぼすものなのだ。


経験者の私から見て、いじめられやすい人の特徴として、一番大きいポイントは優しいことだと思う。自分で自分のこと優しいと言うのかと批判されるかもしれないが、当時私は確かに優しかったと思う。自分の方が体は大きいのに何をされても無抵抗、ヘラヘラ笑っていた。反撃しない人はやはりいじめられがちである。反撃して1人になるのが怖かったのかなと今思う、いじめられてたとは言え、彼らといる時間がその時は一番多かったから。今の自分はそれでも昔よりは優しくなくなった為、しょうもないことされても反撃してしまうだろうが。


結局、高校は完全にたまたまであるが、知り合いが全くいないところに通うこととなり、彼らとは完全に縁が切れた。高校ではいじめられることもなく、真面目に学生生活を送ることができ、成績は学年トップ、彼女もできた。高校に入り私の人生は一変したと言えよう。中学の時は目立つといじめられるかもしれないという気持ちが、何事にも消極性を生んでいた。


高校で自信をつけた私は、大学に入り中学の知り合いにも大分変わったとよく言われた。地元の仲の良い友達からはそんなこと言われたことなかったが、人間が自信をつけると本当に色々変わって見えるらしい。中学の時には見向きもされなかった女の子に好意を寄せられたりもした。そして、成人式の時、自分をいじめてた知り合いと中学以来再会した。


その時会ったのは最も自分をいじめてたしょうもない奴で、性格に欠陥があった。私の中では他の奴は許せても、こいつだけは許せないという奴だった。私は成人式の日、別のグループの人達と一緒にいたのだが、彼は1人でふらふらしており私を見つけてこっちに来た。私の周りをじろじろ見ながらぐるぐる周り、『えー、えーー、えーーーっ、変わりすぎやろ』と言った。周りの友人は小学生の頃を覚えていたのかわからないが、黙って冷たい目で見ていた。私も不愉快だったのを覚えているが、どんなリアクションをしたのか覚えていない、もしかして無視したのかもしれない。とにかく、彼はまた1人でふらふらしてどっかに消えた。それ以来彼とは会っていない。


成人式の時、私は本当に知り合いのいない高校に行って、頑張って良かったなぁと思った。いじめられてた奴に会っても何もびびらなかったし、むしろ見下していた。小学生の頃から体格差はかなりあったのに。


懐かしい話をしてしまったが、私はいじめに関しては、いじめる側に100%問題があると思っている。確かに中学、高校の時に他にいじめられてた人を見ると変わった人が多かったけども、それはもともとその人がそんな人間であったのではなく、いじめられて、辛くておかしくなってしまっただけである。もしくは、表面的な部分しか見られておらず、ちゃんと話せば普通の人であることが多い。


なので、いじめられている側にどうしろと言うのは、いじめの初期段階ではいいかもしれないが、ある程度いじめられてからはどうしようもない。私も今覚えば自分よりも力も頭もない奴に何故反撃しなかったのか不思議に思うが、当時は反撃しようなんか微塵も思わなかった。それが当たりでいじめられている間の心理はある種、洗脳されている状態に近い。DVを受けている人と同じような心理じゃないかなと思う。


そして、いじめを傍観してる人もいじめだというのもいささか無理がある。学生の時にいじめを止める勇気がある奴なんてそうそういない。それは自分がいじめられるのが嫌とかではなく、単に恥ずかしかったり、自分のことで精一杯でそんな余裕がないだけだったりする。学生の時はある意味社会人より忙しいし、それは致し方ない、責める事はできないし、いじめられていた側からすれば、傍観してた人のことなんて正直何とも思っていなかった。


先生も責められない・・わけがない。先生は責任ある、絶対。先生は往々にしていじめが誰かからの告げ口で発覚してから動きだすわけだが、ちゃんと普段から生徒のこと見てればいじめの存在に普通気づけるはず。いじめの対処はやはり早ければ早いほうが良い、ある程度いじめが進行してからはどうしようもないこともあるのだ。それを薄々いじめに気づいているのに、放置して、問題が大きくなってから動き出すのは無能の極みである。先生は仕事でやってるんだから、解決しないといけないでしょ。他にも仕事があって大変というのは甘え、競争に負けたら自分が食っていけなくなる民間のサラリーマンの方がよっぽどキツいと思う。


話は剃れてしまうが、学校の先生って今はわからないけど、明らかに社会に馴染めなかった変わりものの集まりな印象しかない。どうみても仕事できるようには見えないし、冴えないし、社会経験も常識もない。よくモンスターペアレントの話がされるが、それは今の構造では仕方がない。だって、先生は親御さんよりも世間を知らないし、頼りにできないから。勉強教えるのなんて、大学生のバイトでもできる。現に大学受験の予備校の先生や家庭教師ってバイトだったりするわけで。じゃ、学校の先生って何やってんの?って思う。勉強以外の事をちゃんとやってくれないと学生バイトと同じじゃん。学生バイトと差を付けれるのは社会経験なはずなのに、先生以外やったことないって人が何を教えることができるのか。私は先生は全てどこかの企業である程度働いた人を中途で採用するべきだと思っている。そして、先生同士もっと競争しなさい。


話は逸れたが、それではいじめを解決する為にはどうしたらいいのか、私は単純に当事者同士を一緒にさせない環境を作ってあげるのが一番だと思う。


合う、合わないは人間だからある。どうしてもむかつく、気にくわない奴がいるなら無理に一緒にいる必要はない。具体的にはいじめがわかっているならクラス替えでその子達は一緒にしない、いじめる側がマイノリティなクラスを作る等である。いじめる奴は友達が全くいないクラスにいれ、そこで孤独を味合わせる。いじめられる奴も新しいクラスでもいじめられるようなら人間的な成長を促す。クラス替えは半年に一回行い、なるべく関わりが少ないもの同士を関われるようにする、これにより今まで強い立場だった人も弱い立場だった人も自分を客観的に見れるようになるし、周りに合わせようと努力をするようになる。そして、最後のクラス替えはもう生徒の好きなようにやらせればいい。


学力等でクラス分けするのもある程度は有効だと思う。いじめる奴は大体自分よりしょぼいと思ってる奴をいじめるわけで、クラス全体が自分と同じようなレベルのクラスならばなかなか威張ることもできない。いじめられている子もとりあえず勉強さえがんばれば、ほの状況から一時抜けることはできる。


それでもダメなら転校すればいいし、学校がダメなら自分の好きな所で勝負すればいい。それがネットの中の人間関係でも何ら問題はない。今の社会、相当良い学歴を持ってる人以外は中退だろうと高卒だろうと何ら変わりはない。しょうもない大学行くぐらいなら手に職つけた方が良い時代だし。


最も大事なのは、子供の頃から村社会のような人間関係を当たり前にさせないこと。いつも同じ友人といつも同じ場所にいるのではなく、様々な繋がりを持たせる為の努力を親はするべきである。学校がダメでも習い事で友人がいる、クラスはダメでも部活で、部活がダメでもネットの友人がいる、友人はいなくても家族がいる、とどこかで安心できる環境があればいじめがいくら辛くても耐えられると思うんだけどな。


あとは、いじめる側がリア充、いじめられる側は負け組という社会の印象づけも良くない。ドラマとかでも大体いじめっ子の方がイケメンで彼女もいたりするわけで。そういうやんちゃなのがかっこいいっていう風潮も無くなればいいと思う。いじめる奴はモテないし、カッコ悪いっていう社会になってほしい。でも、それは実はだんだんそういう風潮にはなってきている。人気のある俳優さんとかかわいい顔してるし、若いスポーツ選手も優しい感じの人が多い。芸人も高学歴ながり勉タイプの人が増えてきているし、自己主張強い性格や外見の人ってほんとに減ったと思う。なので今まで陰キャラとしていじめられてたタイプの人が、女子からかわいいと言われるような時代も夢ではないのである。


ただ、そこで立場が逆転した時、虐げられていた人達は調子に乗らないでほしいなと。いじめられてきて良かったと思うのは弱い立場の人の気持ちがわかるようになったことだと思う。そんな気持ちに他の人をさせないように、今いじめられている人は逆にチャンスだと思い耐えきり、良い大人になってほしい。学生の時いじめられていても、腐らず生きていれば、社会から淘汰されるのはいじめる側の人間だから、時間は掛かったとしてもそれだけは私は自信を持って言える。人間の目というのはなんやかんや鋭くて、最初はいじめてる側にみんな加担してたとしても、真っ当に生きていればみんなそれがおかしいことだと気づいてくれる。


でも、辛ければ別に今の環境に固執する必要は全くない。あなたが本当に真っ当に生きているならば、環境が変わるだけで嘘のようにいじめられなく可能性は高い。いじめる奴は頭がいかれてるごく一部の奴で世の中の大多数の人はそんな残酷な事はしない。だから、少し頑張って無理だったら今いる環境を手放せばいい。何年か経ってふと気づけば、自分をいじめてた奴らより、自分がどれだけ幸せになっているか実感することができるだろう。

選抜高校野球展望と枠数について考える

選抜高校野球の出場校が先日発表された。この前秋の大会が終わったばかりな気持ちなのに、ほんとに時が経つのは早いものである。今回はサプライズ要素は少なく、地方大会の結果から実力通りに選出された印象が強い。目玉はやはり早稲田実業の清宮君だろう。


私の出身である奈良県からは今回2校選出された。二年前、四年前も2校選出(21世紀枠はなし)されており、近年奈良県は着実に近畿の中で大阪に次ぐ強さをつけてきていることが伺える。それは、ある意味で他の近畿の高校の弱体化も意味するのだが、奈良県高校野球が好きな私にとっては素直に嬉しいことである。


智弁学園と高田商。いずれも近畿大会でベスト8、それぞれ大阪桐蔭履正社に敗れての選出となった。ベスト8で2校とも選出された要因として、履正社神宮大会で優勝し近畿の枠が1枠増えたこと、履正社大阪桐蔭がベスト4入り、同じく大阪の上宮太子がベスト8で大阪からは3校選出できないというかなりラッキーな事情もあった。こんな事が起こるのは地域によって違う出場枠数が近畿は非常に多いことが理由であり、他の地域から見れば羨ましい限りだと思う。出場枠については後で書きたいと思う。



両校の簡単な印象。まずは智弁学園

智弁学園は何を隠そう昨年の選抜の優勝校である。昨年の選抜は開幕戦エースの村上君の第1投から始まり、決勝戦は打者村上君がサヨナラ打で大会を締めくくった。今年のチームの中心は昨年の選抜で3、4番を打った太田君、福元君。2人とも甲子園ですでにホームランを打っており、打撃力は全国でも屈指、昨年よりも力のあるチームだと思う。投手は右の本格派の松本君、左の技巧派の岩井君の2枚看板であるが、秋のままではどちらも全国ではある程度の失点は覚悟しなければならない。特に松本君は140キロを軽く越えるストレートを投げるだけにこの冬場に課題を克服して真のエースとして成長してほしい逸材である。昨年も秋の時点では村上君は実力はあるが何故か打たれてしまう投手であったが、選抜では巧みな投球術でほとんど点を取られなかった。松本君がどんな成長を見せるか楽しみである。  


智弁学園の何よりの課題は守備。守備さえ改善されれば、春連覇も充分に狙えるポテンシャルを持ったチームだと個人的には思う。


高田商業。通称、高商は昨年引退した番長こと三浦大輔投手の母校である。高商と言えば、なんといってもソフトテニス。私は高校時代ソフトテニスをやっていたのだが、当時高商は全国で一番強い高校だった。奈良の大会で高商の何番手がわからないペアと当たるのだが、どいつもこいつも強かった、強すぎた。公立であるにも関わらず、ソフトテニスであそこまで突き抜けた強さを会得できるのであれば、野球部にもポテンシャルはあるはずだ。


奈良の智弁、天理以外の高校が甲子園に出る時は基本的にはエースの投手力におんぶにだっこのチームである。斑鳩高校の高間投手、大和広陵の立田投手、奈良大付属の坂口投手は皆全国でも通用する素晴らしい投手であった。しかし、エース以外がやはり全国レベルではなく、点が取れず負けることが多かった。今年の高田商はその点、数年前の夏に奇跡の出場は果たした桜井高校に近い。

エース古川君は確かに素晴らしい投手と言えよう。左腕でコントロールが良く、ストレートに力もある。しかし、上記のような下級生からチームの中心であった歴代のエースに比べると、場数が足りなく経験が少ない。しかし、その代わり、奈良大付属や大和広陵に比べて、攻撃力にはある程度期待できる。智弁の二枚看板に苦労しなかったし、近畿大会でも和歌山一位の和歌山東を古川君が打たれながらも逆転勝ちした。これまでの奈良の公立校にあったエースが打たれたら試合終了、という攻撃の絶望感は今年の高田商には無いかなと思う。桜井高校は甲子園で完全に浮き足立ち、投手、守備が崩壊したが、高田商はいつも通りやることが一番の課題となるだろう。


全国的な展望として、選抜に関しては今年は近畿勢の力が1つ抜けているかなと思う。私の個人的な法則として、奈良県智弁、天理が秋の時点で近畿ベスト8、ギリギリで選抜される年の近畿勢は強い。逆に天理が近畿大会で優勝してしまうような年は大阪桐蔭以外全く期待できない。今年は前者であり、しかも、履正社大阪桐蔭がアベック出場。この2校を止めることができるチームが全国でも見当たらない。また、ライバルとなる関東勢にあまり好投手がおらず、前評判の高い早稲田実業投手力に難がありすぎる。他の兵庫2校、滋賀学園も非常に力があるため、甲子園が昨年同様、近畿大会になる可能性も充分にあると思う。


ただし、特に選抜高校野球で近畿の高校がよく勝ち上がっている印象があるのはある意味当然なのである。出場校が他地域に比べて多いから。


選抜高校野球は名前の通り、各地域から指定されている枠数の高校を選抜して行われる。これは全国の東京、北海道以外の都道府県から一校ずつ勝ち上がった高校が出場する夏の甲子園とは全く違う。なので、今回のように大阪、兵庫、奈良から2校、京都、和歌山からは選出なしといったことが各地域で起きる可能性がある。それは私的には全く問題はないし、21世紀枠も私は賛成なのである。

問題はその各地域の出場枠の数である。これが地域格差が大きいと感じる。単純に高野連に加盟している学校数で比較してみると、

北海道:加盟校238←出場枠【1】
東北:加盟校404←出場枠【2】
関東:加盟校804←出場枠【4〜5】 
東京:加盟校273←出場枠【1〜2】
東海:加盟校434←出場枠【2】
北信越:加盟校314←出場枠【2】
近畿:加盟565←出場枠【6】 
中国:加盟校277←出場枠【2〜3】
四国:加盟校165←出場枠【2〜3】
九州沖:加盟校547←出場枠【4】

と近畿、四国が厚遇されており、東北、東海、関東は冷遇されていると言える。

近畿、四国は特に昔強かった頃があり古豪のファンも多い。私は四国に住んでいたこともあるが、高校野球熱も非常に高く感じた。近畿は地元で集客も見込める為ある意味しょうがない。しかし、東海や東北は特にかわいそうである。東海、東北大会で準優勝しないと選出されず、ベスト8や時には初戦敗退ですら地域性等で選出されてしまう近畿との差が激しすぎる。

昔は近畿や四国が強かったのかもしれないが、近年はそういった事も無くなった。北海道、東北勢は強いし、特に夏の大会は関東勢が上位を独占することも増えてきた。清宮君に代表されるスター選手や好投手も明らかに東日本に多い。近畿は特に夏の大会は大阪桐蔭以外1つ2つ勝つのがやっとで、そういった面でも不公平感が大きくなっている。枠が多いことでハングリー精神がなくなってしまったのか、近畿が神宮大会で優勝し神宮枠を取ったのは今年の履正社な初めて。神宮大会でも東日本勢の強さは毎回際だっている。


だからと言って私は近畿の出場枠を少なくしろとは言わない。そんなことをしたら、今年の智弁学園も高田商も落選していたし、常に近畿大会に三校出場する大阪や兵庫ばかり甲子園に行くことになってしまう。なので、近畿の枠はそのままで他地域の枠を
純粋に増やせばいいと思う。特に東北や東海はとりあえず1枠増してあげてほしいし、関東や最近頑張っている北陸も増やしてもいいぐらいだと思う。もしくは、神宮枠とは別に、前年優勝校のいる地域はその年の枠が増える等、甲子園の成績と連動させるシステムでも良い。とにかく、昔と違い、ある特定の地域が強かったり、人気がある状況ではなくなっている現代に、出場枠数も変化が必要である状況だと思う。


21世紀枠も賛否両論あるが、私はこれに関しては続けてもいいと思う。やはり私立に比べて公立は明らかに甲子園に出にくいし、思わぬ躍進をし大会を盛り上げてくれる時もある。ただし、三枠は多すぎるし、21世紀枠同士の初戦対決等はやはり萎える。さらに言うと、ただでさえ枠数が多い、近畿、四国から選ばれすぎ。東北も震災後は多いが、東海はもっと選んであげてほしい。


結論、参加校数を増やすことで、選抜もよりレベルが上がり、興業面でも良いと思うのだが。実際に甲子園に見に行くにしても、やはり3試合日より4試合日の方が得した気持ちになる。


今回の甲子園は神宮枠でさらに出場校が増えた近畿から優勝校が出る可能性が高いだろう。最も可能性が高いのが、大阪の2校。次に智弁学園、兵庫の2校。しかし、前回清宮君が出た時は露骨な早稲田実業よりの判定も見受けられた。早稲田実業が今回もその波に乗りあれよあれよと言う間に勝ち上がる可能性もある。


清宮君は本物のスラッガー。だからこそ、有利な判定とかすると逆に評価を下げてしまいかねないのでそういうのはやめてほしい。でも、これだけ高野連が特別扱いする選手はやはり成功する可能性が高い。私はあの大谷翔平が最後の夏に甲子園に出れなかった時、誰かお偉い方が甲子園の挨拶で花巻東の大谷君が見たかった的な発言をし炎上したことを最近思い出す。確かに叩かれて当然だが、今の大谷の活躍を見れば、ある意味先見の明があったことを評価せざる得ない。当時は藤浪の方が甲子園では凄かったし、まさかここまで大谷が完璧に成長していくとはなかなか当時皆考えられなかったはずである。そんな高野連から特別扱いされている清宮君はやはり凄い。

しかし、チームで言えば、早稲田実業より履正社大阪桐蔭の方が強いし、神戸国際、智弁学園滋賀学園も互角の力を持つだろう。清宮君も日大三校のエース桜井君に5打席連続三振する等、脆さもある。ちなみに、投手ではこの桜井君が私の今大会最も注目する選手である。 


何はともあれ、今回も非常に楽しみな大会になりそうだ。智弁学園は春連覇、高田商は初戦突破を目指して頑張ってほしい。

西野を批判してる人は何時代の人なのか

お笑いコンビキングコングの西野さんがクラウドファンディングで募ったクリエーターと共に作成、販売した絵本をネットで無料公開したことで炎上している。私は芸人西野さんはあまりにつまらなさすぎて正直嫌いであったのだが、絵本作家としての実力は認めざる得ないし、今回の件で逆に西野さんを今後応援したいと思うようになった。これは凄い大逆転。私は一度嫌いになるとなかなかその感情は変わらないタイプなので、まさかと自分でも驚いている。 


http://www.j-cast.com/2017/01/19288546.html


さて、今回の件、何故西野さんが批判されているのか私には全く理解できない。批判してる人はいったい何時代を生きている人なのか、問いたいぐらいである。この議論はもうこれだけで終わる、だったらyoutubeで音楽のミュージックビデオ流してるミュージシャンも批判しろよ。これで終わり。


西野さんは今回の無料公開を『お金の奴隷解放宣言』と言った。このネーミングセンスはやはり芸人としての才能の無さを露呈してしまっているわけであるが、西野さんの思惑とは違い、逆にこの絵本、これから馬鹿みたいに売れるだろうと思う。こういったエンターテイメント的な創造物を無料で公開すると言うのはある意味マーケティングの基本中の基本。むしろ、youtubeで聞くのも、CDで聞くのもほぼ大差ない音楽と違い、絵本はネットで見たから買わなくていいとはならないものであるからより効果は大きい。


絵本が誰の為の物かと言えば子供の為のもの。ネットで大人が内容を見れるからと言ってじゃあ買わなくていいわとなる人はごく少数だし、それ以上に興味はあるけど躊躇っていた人を取り込む効果の方が明らかに大きい。特に今回はクラウドファンディングで募った才能あるたくさんのクリエーターが書いた絵が評価されているのだから、ネットで見て興味を持ち、本屋で実物を見たいという人はたくさんいると思う。てか、そもそも絵本って本屋で立ち読みできたはず。それをネットでやっただけで批判する意味がわからない。


この大前提を受け、なお批判する人達のポイントは恐らく以下だろう。

クラウドファンディングでクリエーターを募ったのだから西野さんの独断でやっていいことではない。

→そんなルールは無いし、クリエーターの人もそれで結果的に売上が上がれば問題ない。ネットで無料で公開したからと言って売上が落ちるわけがない。今後売れなくなってもそれは無料公開したことが原因ではない。私がクリエーターならば、西野さんと同じく子供だけじゃなくより多くの人に自分の作品を見てもらいたいと思うし、あのクオリティの作品作るんだからそれなりに信頼感もあったはず。何の問題もない。株式会社と違うのだから、そもそも融資した者にそんな権限もないんだけども。


・既存の業界、クリエーターを馬鹿にした。

→こんなんでヒステリー起こしてる奴らは馬鹿にされて当然。時代遅れも甚だしい。ネットで無料公開→売上が落ちるという考えが意味不明だし、そう考えるのは自分の作品に自信が無いからでは。西野さんが『お金の奴隷解放宣言』と敢えて煽るような事をしたのも、業界があまりに古すぎるから一石を投じたかったんじゃないかと思う。無意識かもしれないが、彼のこの発言により、まんまと業界の古い体質は公のもとに晒されるようになった。


・西野さんが面白くない、むかつく
→これはある意味しょうがない。絵本作家としての実力は認めざる得ないかもしれないが、やはり芸人としては全く面白くない。芸人辞めたんだっけ??絵本作家を本業としてやってくなら私は応援したいが、テレビ等で芸人として面白くないことしてたらそれは批判されて当然。キングコングは相方の梶原さんも嫌いだったなー。M-1キングコングを優勝させなかったサンドウィッチマンは本当に素晴らしかった。確かに芸人として頑張ってるのはわかるけど、やっぱり面白くないときついわ。


とまぁ、こんな感じだろうか。西野さんを元々嫌いで、今回の奴隷解放宣言あたりの芸人としての面白くなさを批判するなら私は同意する。芸人なのにこの状況もっと生かせよと言うならわかる。


しかし、西野さん個人がどうこうではなく、クリエーターがどうとか、業界がどうとか言って批判してる人はおかしいと思う。何年前の議題の話よって本当に思う。そういう人達はyoutubeで音楽聞いたり、Kindleで本読んだり、無料のネットニュースとかは見ないの?なんでここまで大きな話になるのか意味がわからない。当たり前の事をしてるだけでしょう。

狩野英孝は悪くないとも言えるが・・・

何故だろう。無性に憤りを感じてしまうのは。


ベッキーの不倫にもマギーの不倫にも全く不愉快な感情は持たなかったし、むしろ皆に叩かれてかわいそうだと思ったのだが、今回の狩野英孝の事件には何故かもっと叩かれるべきだとマスコミ側に気持ちを傾けたくなる。ベッキーの時みたいに皆もっと叩けよと。


彼の言ってることが本当ならば、理屈ならば彼は被害者とも言える。相手の女に年齢を騙されていたのだから。言ってる事が本当ならば。

冷静に何故彼を許すことができないか考えてみる。


まず第一に私はロリコンが生理的に嫌いである。性癖は人それぞれあるのはしょうがないが、30代半ばのおっさんがいくら22歳と言われたからと言って17歳の女の子に手を出すのはキモイ。うん、本気でキモイ。私にはそういう感情が理解できない。17歳とか言い方は悪いがガキにしか見えないし、それは例えばアイドルとか世代を代表する女の子を見てても性の対象には見れない。正直、大学生でもよっぽど大人っぽくないと無理、私は20代だが。


10代、20代前半の恋愛市場に狩野英孝のようなおっさんが入ってくるのも客観的に見て健全ではない。学生の頃はやはりその世代間で恋愛はするべきだと思う。そりゃ、大人の方が金も持ってるし、女心も知ってるし、かっこよく見えるから女の子は落としやすい。だからと言って、そんな市場にまで女の子を漁りに行くなんて大人気ないし、キモイ。こういうおっさん達がいるから、10代の恋愛市場はやりたい放題になっており、それを少しでも防ぐために法律まで制定されている。


次に、私は昭和的な芸人間の人間関係もあまり好きではない。常々思っていたが、芸人の世界の年功序列、体育会系のノリ、仲間派閥意識は本当に凄い。ダウンタウンとんねるずビートたけし明石家さんまが未だに第一線で活躍しており、若手が出てきたと思って年齢を見ると大体30代。実力があってもコネや人間関係が無いとまず成功できない為、逆に売れている芸人間での結束が非常に強い、強すぎる。だから、今回のように自分の派閥の芸人がやらかしても皆して庇う。なんかそういうのも苦手。悪いことは悪いといくら仲が良くても線引きはしなきゃいけないと思う。芸人が庇えば庇う程、逆に狩野の評価は自分の中で厳しくなっていってしまう。


最後に、狩野英孝個人の信用性である。私は恐らく彼を信用していない。だから、会見で言ってることも嘘なんじゃないかと疑って憤りを感じてしまうのだと思う。17歳なんてガキだし外見でわからない?17歳に恋愛感情があるなんて逆にちょっとやばくね?相手のお父さんが謝ってくるとか、お父さんもなんかおかしくね?諸々怪しく感じてしまうのである。狩野英孝は嘘を上手くつけるタイプじゃないと思うのだが、嘘っぽく見える。本当はわからないんだけど。

ちなみに、私が狩野英孝を信用しなくなったのは、別にも理由がある。良く覚えてないが、ロンドンハーツで彼女にプロポーズして結婚して、その後もハニートラップに何とか引っかからず嫁を大事にするキャラを無理やり作ってもらっていたにも関わらず、結局不倫して離婚してしまった。別に不倫も離婚もいいんだけど、狩野英孝はそういうのをやると信用されなくなるタイプのキャラだと思う。それで今回の一件、そりゃ、全部は信用できない。


うーん、やっぱりベッキーやマギーと違って男だから許せない。同じ男として純粋にカッコ悪いと思う。17歳にホイホイ騙されるのも、それがバレて業界中に迷惑かけるのも、泣きながら謝罪会見するのも、言い訳するのも。本当に恋愛感情があって結婚まで考えているなら何も悪くないから謝罪会見なんてしなくて良いし、後ろめたい事があって犯罪なんであれば自主しなきゃいけない。結局どっちなのかわからないし、少なくとも何も後ろめたいことがないようには見えなかった。


今回の件で世間の反応を見て思ったのは、意外な程純粋な恋愛であれば年の差なんて関係ない派の人が多いこと。これは意外だった。私のようなロリコン根絶派はマイノリティらしい。


法律がもしなくても、私は30半ばのおっさんが10代の女の子に発情するのはキモイし嫌だし引く。30代半ばのおっさんが22歳と淫行するのも犯罪にしてもいいぐらいだと思う、正直。女性なんて星の数程いるのに、なんでわざわざそんな世代に行く必要があるのよ。
  

狩野英孝は芸人間で好かれてるんだろうなと思うし、それは彼の人徳に他ならない。しかし、これからの待遇に関してはそういうのは関係無しにして、事実に基づいて行われるべき。要するに、極楽とんぼの山本達と同じであるべきだと思う。こういう時こそ、週刊誌は本気で被害者?に事実確認し、本当の愛なら応援を、そうでないなら社会的制裁を食らわす記事を世間に提供してほしい。今回はフライデーだが、週刊誌は結局いつも誰かの揚げ足取るだけで終わってしまう。その後の事実確認もちゃんとして頂きたいものである。