東日本大震災の記憶

明日であの東日本大震災から3年になる。今晩、様々な番組で被災地の現状を取り扱っていたが、それを見て本気で腹立たしい気持ちになった。

まずはあの大震災の記憶から。あの日の事は忘れもしない。私は当時社会人一年目、埼玉で働いていた。その日は休みで家でゴロゴロしていたのだけど、昼過ぎぐらいだったか今まで人生で経験したこともないような死を意識するような大きな揺れが起きた。

町全体が地響きを上げて揺れ、私はすぐ外に出た、すると近所の人も外に出てきてて、揺れが収まるのを待った。揺れが収まり、一体何が起きたのかとテレビをつけた。そこに写し出された光景はこの世のものではない気がした。東京では建物が火をふき、東北では津波が家々を流していき町は壊滅していた。

その後、会社に電話したが繋がらず、誰とも連絡が取れない事に気付く。関東に住む知人、職場の皆は無事なのか気になり、平常心では居られなかった。結局最初に連絡が繋がったのはその日出勤だった上司で、職場も壊滅したが、怪我人はいなかった。百人以上いる職場、皆無事で良かった。

他の知人も無事だった。結局私が住んでいた地域は震度6だった。私は出身の奈良で子供の頃、阪神大震災を経験しているが、それの比では無かった。しかし、埼玉以上に宮城や岩手等の震源地近くの地域が悲惨だった。何に感情をぶつけていいかわからず、ただ運命を嘆いた。


夜に外に出るとどの店も閉まり、さらに度々震度4程の余震が起きた。夜も眠れず、しかも翌日からの仕事を考えると逃げ出したくなり、それでも翌日からは現実を直視しなくてはいけなかった。

翌日もテレビはどこも地震のニュースばかり。何やら、福島の原発津波でやられているらしい。スーパーの食料品は買い占められ、日の出を見た被災地はまるで核爆弾でも落とされたかのような状態だった。

職場も悲惨だった。自動倉庫と呼ばれる巨大在庫管理システムが崩壊、中の商品もスプリンクラーで水浸し、震災の事情が通じないお客さんもいた。それから、一ヶ月私達はそれこそ寝る間も惜しんで働いた。普段月20時間もない残業がその月は100時間を越えた。それでも、徐々に立ち直る職場、一ヶ月後にはほぼ通常運転になり、新入社員も入ってきた。その時はほんとに泣いた。


仕事漬けになっている間も余震は容赦なく襲ってきた。さらには計画停電、職場で停電の間中にはその時しかできない事をやった。放射能の話は未だに解決されていない。


地震から半年、私は転勤で奈良に戻ってきた。私としては、地元で働ける喜びと、助け合いの気持ちで溢れていた東日本を離れる寂しさと半々だった。しかし、関西に来て思ったのは、震災に対する温度差だった。まるで皆他人事なのだ。しょうがないけど、当時はやるせない気持ちになった。

そして、私は今さらに西の愛媛にいる。どんどん被災地からは離れているが、こうして思い出してスラスラ書ける程あの時の事は忘れられない。

過去に関してはこれぐらいにして、次回は被災地の復興について考えたい。