老害と呼ばれない大人になる為に

近年医療の発達は目覚ましく、いわゆる定年退職をした後も大体の人にはあと数十年人生が続いていく。皆が知っているように、日本の年金制度はすでに崩壊しかけており、今すぐに年金が貰えなくなったりはしないだろうが、いずれ年金制度に頼れない時代が訪れる。年金が貰えなくなる、年金が少なくて生活ができないという事は、定年後も生きる為に仕事を見つけ稼がなくてはいけないという事だ。


だが、高齢者の再就職には様々なハードルがあるみたいだ。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39322


こちらの記事は、定年後の再就職のリアルを描いた非常に興味深いものである。40年、管理職として一所懸命働いた経験があっても、高齢者の再就職先となるのは現状若者のフリーターがやるような単純作業をするような仕事や少なくとも自分より一世代も二世代も下の人間から指図されるような仕事ばかりだ。人手が足りてる業種にわざわざリタイアした高齢者を雇うメリットはないし、人手が足りない業種はそういった労働環境になってしまう。


加えて、少子高齢化の時代、今後は海外からの移民の受け入れは必須で外国人労働者にも指図される立場になる。記事ではまさにそういった環境に身を置く高齢者の苦悩を取材している。


結論、私はこの記事のようなおじさんにはなりたくない。もちろん、記事に書かれているような状況に身を置く事になれば辛いし、若者と違い仕事は選べない。それに記事の内容が本当なら人生の先輩に敬意を払わない若者や外国人労働者が悪いのは悪い。しかし、そんな状況にただ手をこまねいて影でグチを言うしかできないようなそんな老害にはなりたくないのである。


私も逆の立場は仕事でたまに経験する。前職で管理職として働いていた、プライドをもった高齢者を雇う事がある。彼らは実際、老害とまではもちろん言わないし、意欲を持って働いて頂いたから私的には何ら不満はなかったが、やはりそのプライドや能力が問題になる事はあった。まず、正直、管理職としてずっと働いてきているのに、こんなに知識が無いものなのか??と思う事があった。本当に失礼な話だが、やはり高齢者だからなのか飲み込みが遅いのは事実として受け止めなくてはならない。

私はまだ20代半ばだから、人間は年をとる程良くなっていくという希望を抱いている。だから、40年も働いていたら、それは自分には比較にならない知恵や能力を持っていると思ってしまう。それなのに、例えばパソコンが使えないとか、一般常識的な社内ルールが守れないとか、そういう場面に出くわすとガッカリする。


次に、プライドだ。前職で何十年も同じ仕事をしていればその仕事にプライドを持つのは当たり前だ。過去の自慢話を休憩中にするぐらいなら何も思わない。しかし、空気を読めなくてはならない。例えば、前職はこうだったからとか、誰からの指図も受けないとかいう態度をとる人間はまさしく老害である。もちろん、作業を効率良くするために意見するぐらいならいい。しかし、新しいやり方を受け入れられず、慣れ親しんだ働き方しかできないような人はいらない。


そして、記事にもあったが、若者と不必要に仲良くしようとして飲みに誘ったりというのもダメ。正直、そんな年代の人と飲みに行ってもつまらない。その人間になんらかの魅力があり、尊敬できる部分があるならどんな年代の人だろうと大歓迎だろうが、明らかに職場で孤立していて、それを打開するかのように飲みに誘われても、若者の立場からすれば面倒でしかない。


要は若者に尊敬されるような人間でなくてはいけないのだ。尊敬されていれば、こちらの話も聞いてくれるし、飲みにも誘ってくれる。尊敬といっても色々ある。仕事の能力、外見のかっこよさ、人格、等々何らかの要因があればいいのだと思う。


私は年を取れば取るほど、人間は進化していくものだと信じているが、いつか現実にぶち当たり自分の能力はどんどん衰えていくかもしれない。それでも、人格だけは進化させていく事はできると思う。いくら相手が年下でもしっかり言うことを聞く、勤勉であり、愚痴も吐かない、それでも芯はしっかり持ち、信念を強く持つ。さらに、大人特有のスマートな空気の読み方ができる。人格ならかっこいい大人になりたい意識さえ強く持っていれば、磨き続ける事ができる。


私はかっこいい大人になりたい。もし、定年まで生きていられる幸運に巡り会えたら、残りの人生は社会や人に恩返しがしたい。若者に様々な事を伝える、これは逆に高齢者に残された使命でもある。