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怒りは仕事に必要なのか

最近ふと思う。怒りや叱咤は仕事に必要なのだろうかと思うのである。こんな事を言うと一世代上の人達からまたゆとり世代が甘えた事言いやがってと怒られるかもしれないが、私は部下や従業員がどんな失態をしようが怒る必要はないと考えている。


そもそも、私はトラウマがあり誰かを本気で怒る事ができない。


大学のテニスサークル時代、そのサークルには夏の新歓合宿で新入生を上級生が1人ずつ呼び出し、演技でマジ切れするというドッキリをする悪しき習慣があった。私も上級生になり、何人かを相手に怒るドッキリをしたのだが、私がやった新入生達だけ泣いてしまうという非常事態になった。私は普段他人から見たらすこぶる優男な為そのギャップに心底ショックを受けたようであった。これ以外にも私が怒るとロクなことがない。恋人と別れる為に冷たくしたら人間不信になったと言われ、仕事でもちょっと強めに注意したら部下が取り乱しパニクる。 

正直私からすれば他の人に比べれば随分優しく怒っているつもりなのに、そんなリアクションを取られるのはおかしいじゃないかと思う。しかし、それ程相手からすれば信じていたものに裏切られた失望感が大きいらしい。だから、私はそれ以来、公私共に本気で怒ることができなくなってしまった。


それゆえに何の考えもなしにその場で感情的になり怒ってる人を見ると、ふざけるな、ズルいじゃないかと思うのである。私はこんなに相手を傷つけないように言葉を選んでいるのに、あんたは何も考えずに怒り散らし、不公平じゃないかと。


しかし、よくよく考えると特に仕事において、怒りという感情は全く必要ないのだと思う。例えば、部下が考えられないような失態をしたとして、それを怒ったところで何の意味もないのである。一時的にはこの上司に怒られたくないから気をつけようと思うかもしれないが、そもそも仕事は上司に怒られない為にするものではない。自分で考えてやるもの。感情的に怒ってしまうとまず部下の仕事の方向性が間違う要因となる。


また、怒ることで人によってはどうしても距離ができてしまい、部下がミスを隠蔽したり報告しなくなることも考えられる。場の空気も悪くなる。そうなれば、そのチームは最大限の成果をあげることは不可能だ。

  
しかし、ミスを怒らないと舐められる、緊張感がなくなると多くの人は反論するだろう。それはごもっともな意見である。現に私は恐らく部下から舐められるまくってるだろうし、威厳のかけらもない。それはそれで物足りないと思う人間はたくさんいるだろう。

 
私はそんな中でも緊張感を保つ為、評価は徹底した成果主義、結果主義を貫いている。普段どんなミスしようが怒りはしないが、それ相応の評価はつけさせてもらう。過程ではなく結果が全て。どれだけ積極的に自分に好かれようと努力をしようが、仕事の結果でしか評価は与えない。部下のどんなミスも失態も感情を押し殺し庇うし、なるべく好きなようにやらせてあげるし、余計な所でプレッシャーはかけない。どんな愚痴も仏の精神で聞く。でも、自分の生活は自分で責任持って守れよというのが私の考え方である。


このようなやり方をしていれば、普段の仕事で怒りという感情は全く必要ないなと思う。


ちょっとしたミスで人格を否定するような叱咤をする人ってほんとに何なんだろうと思う。そもそも、仕事で立場が上なだけでなんで皆そんな偉そうにするんだろう。なんで皆そんな自分に自信があるのだろう。要するに長く生きてるだけ、長く働いてるだけ。それだけで偉そうにできるわけがない。私はどれだけ自分の方が仕事ができると感じてても、相手の方がイケメンだったり、声が大きかったり、友達がたくさんいたり、運動ができたり、ゲームが強かったり、博学だったり、何か1つでも自分より優れていたら劣等感で偉そうにできない。俺って仕事で勝ってるだけでしょうもない人間だよなと本気で思ってしまうのである。ある意味全てにおいて自分より劣っている人にしか偉そうにはできない。そんな人間には今まで会ったことがない。


だから、上の人からはもっと自信を持て、怒れと言われるのだが、私がそっちの人間になるということはこの26年を否定するということ。自信が無いからこそ謙虚に努力して結果をあげる。怒れないからこそ、下の人間が奮起して頑張ってくれる。それが私の最大の強みなのだから、わざわざ自分の存在を誇示するような生き方なんて死んでもしたくないと思う。目立たなくても、見てくれる人は見てくれる。それだけで充分だ。