写真に映る自分の顔が許せない

私は写真が凄く嫌いだ。子供の頃から大人になってからも、変わらず嫌いだ。プリクラとかも絶対撮りたくないし、会社で自分の顔が出てる社内報等も見たくない。昔、テレビにちょろっと出た事もあるのだがそれを見た時も最悪な気持ちだった。友人の結婚式等でスライドに自分が出てくると目を覆いたくなる。自分の結婚式は正直どうしていいかわからない。写真嫌いで自分が楽しそうに映ってる写真は皆無だし、自分ばっかり出てくるスライドショーなんて何の罰ゲーム。結婚式をやりたくないのはこのスライドショーが嫌だから、ほんとに嫌なのである。


それはひとえに自分が不細工だと自覚しているからである。自分の醜い顔を自分で見たくないのである。


しかし、しかしである。鏡に写る自分はまだ許せるというか、見れるレベルである。決してイケメンではないが、人生顔で損するレベルの不細工ではない。それが、写真になった場合、自分より不細工な人間はいないんじゃないかと本気で思う程最低最悪の見る人を損した気分にさせるレベルにまで落ちる。あくまで自分の感覚では、バナナマンの日村の方が愛嬌があって可愛い顔してると思う。本気で。


もし、というか、実際写真がリアルなわけなのだが、こんなに不細工な人間とは自分は深く関わりたくない。一緒に仕事もしたくないし、友人にもなりたくないし、勿論恋人なんて絶対無理、他人から見ればそう思われても仕方ないぐらい酷い。世の中にこんな不公平があっていいのかと思う。


しかし、私は自分で気づいていないだけかもしれないが、周りから不細工弄りをされたり、顔で異性に不当な扱いはされた事がない。勿論、フラれた経験は数知れずだが、どんな美人にも恋愛感情は別として、逆に優しくされたりすることが多く、変に嫌われることはまずない。こんなに不細工なのに何故なのか。


鏡に映ってる人間が本当であればまだ自信を持って生きられる。しかし、写真に映ってる人間が本当なら私は外にも出たくない。こんな歳になって言うことじゃないが。

そんな事を考えると、ほんとに人生って平等じゃないよなって思う。どんな顔に生まれるか、どんな家庭に生まれるか、どんな国に生まれるか、それによってほとんど決まっちゃうじゃないか。努力でどうにかできるのって
ほんとに僅かなことしかないんだと思う。こんな感じで現実に折り合いをつけていくのが大人になるって言うこもなんだろう。


不細工なのは別にいいんだが、自分の精一杯の努力で果たして人生どこまで動かすことができるんだろうか。写真に写る自分を見るとみるみる自信が無くなり、凡人オーラ満載になる。しかし、自分の心の中では自分は人生を通して何か爪痕を残せる人間なんだと思っている。
特別とまでは行かなくても、死ぬほど頑張れば何か形になるはずだと。

自分の写真を見るということは、現実を直視することである。自分は不細工で何も成し得ない凡人なんだと自覚することである。私はまだ自分で自分の事を人生どうにでもできる、伸びしろはあると思っているが、平凡な人生しかどうやったって歩めないよと忠告されているような気持ちになる。私はまだ夢を見ていたい。だから写真に写る何も成し得なさそうな自分を見るのが大嫌いである。


先日、飲み会の写真に写っている自分が酷い顔をしていると話題になった。私からすればいつもの写真に写っている不細工な自分だった。確かに酷い顔だが、いつもそうみえてるんじゃないの?と少し不思議な気持ちになった。もしかしたら、やはり写真の方がリアルな私よりも酷いのかもしれない。そんなささやかな期待を抱いたが、他人からどう見えているかなんて知りようがない。


もしかしたら、この写真恐怖症は私の最大のコンプレックスかもしれない。しかし、正直どうやったって克服できそうにない。今後も写真は極力写らないと思う。


自分が調子乗ってるなって思ったら自分の写真を見よう。そしたら一瞬で謙虚な気持ちになれる。


とにかく、自分のプライドを騙し騙し頑張るしかない。
好くなくとも20代は自分の人生の伸びしろを信じてやっていきたい。いつか自分の時代が来る、そう信じて毎日大切に生きよう。