30歳の成人式に出てみたい

日付が変わり本日は成人の日でふと自分が成人式を迎えた時の事を思いだそうとしたのだが、あまり大した思い出は無かった気がする。

 
私は高校も大学も地元から離れていた為、土地元で開かれる成人式は中学時代の同級生に久しぶりに会うだけの微妙な会だった。さらに言うと私は高校から急に真面目になり勉強し、中学時代成績が良かった人達よりも良い大学に通っていた為、そのキャラの違いを突っつかれるのも嫌だった。


成人式に出て、久しぶりに中学時代の人達に会って思ったのは、ずっと一緒のグループで仲良くしててもあんまり良いことないなという事だった。なんというか成長が止まってしまうというか。

私は高校に入る時も、大学に入る時も、元々の知り合いが1人もいない状況で入学した。特に若かった高校時代は最初の友達を作るのにも苦労したものだった。入学初日からクラスを見渡せばある程度のグループができていて、その高校に一番近い中学出身の奴らは余裕をかましている。我々外様は何かのきっかけで目立ったりして初めてそういう奴らに認められたものだった。

中学時代イケてたグループの奴らはけっこう仲間うちで同じ高校に行ってたりしていたのだが、同じ高校に同じ中学出身の人がたくさんいるとやはりそれでグループができてしまう。せっかく色々な中学から人が集まってるのに交流する機会は激減する。


勿論そういうグループの人達は成人式も一緒に参加する。そして、内輪ノリが始まる。所謂地元じゃ負け知らずというやつである。


私は大学入学時も同じ高校出身の人が0という状況だったので、その頃には初対面の人と仲良くなったり、和が広がっていく感覚の虜になっていた。また、そうした誰も知り合いのいない環境に飛び込むことで成長できた部分も多かったと思う。

成人式で中学時代の知り合いに久しぶりに会った時、こいつらってこんなに幼稚だったっけとかなりガッカリしたことを覚えている。当時から何も変わってないやん、五年あったら普通ちょっとは変わるやろうと。

結局、私は中学時代の知り合いとは適当に挨拶だけして、たまたま一緒の会場だったバイト先の子の知り合い達と1日過ごしたものだった。中学時代の友人と呼べるような人達とは別にいつでも会えるしと逆に皆お互いに一緒に行動はしなかった。


今思えばそんな調子乗った考えをしてた自分も若かったなと思う。しかし、その時ぐらいから自分の価値観はある程度固まってきて、自分の強いところでばかり勝負する人間はカッコ悪いなと思うようになった。例えば、自分が強くいられるような人間関係の中だけでずっといようとする事や、自分の得意な事ばかりやって苦手な事から目を背けること。人間自分の不利な戦場で戦うからこそかっこいいということ。


その価値観により、結局今のような仕事をしてるんだなと思うと感慨深い。毎日のように初対面の人と接したり、いつ何が起こるわからないような仕事は実は自分が求めていたものだった。


成人式はそういった大した思い出もないイベントになってしまったが、実はあのときもっと中学時代の知り合いと交流しとけば良かったと今更ながら後悔している。何だかんだ言って年を取ったときに思い出すのは昔のこと、地元の事である。


そんな私に朗報というか、今30歳の成人式というのが流行ってるらしい。このイベントは非常に興味深い。

http://www.30seijin.org/

まだまだ世間的には知られてない部分も多い為、私が30歳になる頃にポピュラーになってるかはわからないが、もし地元の奈良市からこのような招待状が届けば是非参加したいものである。


二十歳の時は正直子供、学生のノリが抜けないままの状態だったが、30歳で皆で集まれば果たしてどんな会になるのだろうか。自分は周りの30歳に比べてどうなのか、刺激になるに違いない。もし自分の知り合いが参加していなくても、同じ時期を同じ地域で過ごした同級生と会えるだけでなんというか感慨深い。

この30歳の成人式は地域活性化にも繋がるし、結婚してない人からみれば絶好の出会いの場にもなる。非常に将来性のあるビジネスだなと思う。自分が30歳の時、どのレベルまで男をあげることができているかわからないが、そういう場に参加して恥ずかしくないようにあと数年必死にかんばってみようと思う。





ちなみに、先日、人が落ち着いた伊勢神宮月讀宮に初詣に行ってきた。おみくじは五年ぶりぐらいに大吉だった。普段はそんな事全く気にしなかったのだが、そのおみくじの内容に親を敬い大事にしなさいというメッセージがありそれがやたらと自分の胸に突き刺さった。今年は本当に親としっかり向き合って本当の意味で真人間になれれば、多分良い一年になるんだろうなと思う。