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鬱じゃない時が無かった我が人生

私は生まれてから今までずっと、冴えない気持ちで生きてきた。一瞬、一瞬を見れば勿論嬉しかった時や達成感があったときもある。しかし、それはほんの一瞬で、1日のほんの一瞬で、それ以外の大体の時間は冴えない、憂鬱な気持ちに支配されてきた。私はそれがずっと自然なことだし、それが生きるということなのだと思っていた為、それに対してそこまで深く考えたことも無かったし、悩んでいるわけでも無かった。


でも、生きるということは本当にこんなに憂鬱なものなのか?自分以外の人間もほんとにいつもこんな憂鬱な気持ちに支配されているのだろうか。ふと思った。が、それは確かめようがない。何故なら、仕事中や誰かといるときの自分ですら一見まともな人間であるし、頑張っているように見える。きっと、他の人も外行きの時は無意識のうちに憂鬱ではない自分の仮面を被って明るく振る舞っているに違いない、と思うから。


世間には『うつ病』というものがある。病院に行けば自分の憂鬱がうつ病によるものなのか、甘え、怠けと捉えられるものなのか、判断してもらえるのだろうか。しかし、それも信用できない、というか結果は見えている。例えば、外行きじゃない時の自分が鬱診断なるものを正直にやればほぼ全ての項目でうつ病と該当するはず答えを選ぶ。が、いざ実際に病院に行くとなれば、外行きの自分となる。外行きの自分であればどんなテストをされても迷った答えしか出せないであろう。確かに冴えない気持ちだけど、でもそこまで辛くもないしな・・と。


憂鬱の原因もわからない。金が無いとか、愛されたいとか、仕事が辛いとか、そんな不満は別にない。そもそも、自分にはあまり欲がないし、所謂幸せの三本柱たるそれらの項目に関して自分は恐らく客観的に見れば満たされているほうだと思うから。むしろ、金も仕事も何もなくていいから満たされた気持ちになりたいというのが本音であろう。


だからといって死にたいわけでもない。死ぬのは怖い。


一体何があれば自分の心は満たされるのだろうか。最近、そんなことばかり考える。



真面目に生きていれば、そんな憂鬱はいつかはなくなるものだと思っていたが、幼少期から変わらず、私は辛い気持ちで生きている。そんな後ろ向きな気持ちでよくここまで来れたなと自分でも感心する。



それでも、最近、いわゆるうつの気が酷くなってきている気がする。私が思うに、世間一般で言われるうつ病と診断するのに明確な基準は、

『部屋の掃除ができない、散らかり放題』
『予定が無い日はご飯すら食べるのが面倒になる』

この二点だと思う。これに該当する人は私はうつ病ということを認定していいと思う。そして、私はこれを27年間該当し続けたまま生きてきた。


部屋の掃除がとにかくできない。いつかやらなきゃいけないけど、絶対今じゃなくともいい、そういうことを後回しにし続ける人はうつ病、または心に病を抱えている人の共通点だと思う。掃除の仕方がわからないのではない、私も必要に迫られる引っ越し前等はできるのだ。どうしてもやる気が起きない、体が動かない。部屋が汚いから誰も部屋に呼べない生活が何年も続いている。


仕事場の整理はできるのに、自分の部屋の整理ができない。苦しい。


どこかで、こういった生活から脱出しなければいけないのだが、自分だけの時間に、どうしても何かを頑張ることができない。人に迷惑をかけない状況であれば、正直自分のことなんてどうでもいいとしか思えない。


一体何がどうなれば自分の憂鬱な気持ちが晴れるのか、人生頑張ろうと思えるのか、誰か、教えてくれないか。同じような悩みを、皆抱えているのだろうか、それすらもわからない我が人生、これからどうなっていくのだろう。