読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

いじめられた経験を思い出す

近頃、また世間でいじめ問題に関するニュースをよく目にするようになった。福島から自主避難している子供が同級生から150万かつあげされて、教育委員会がいじめではなかったと言ったことは様々な議論を巻き起こしている。


私はそういうのを見て、いつも思う。所詮、机上の空論だと。テレビに出てるような著名人は恐らくいじめられた経験もなければ、むしろいじめる側だった人の方が多いのではないかと思うからである。いじめ問題を語るには、いじめられるということがどれだけ苦しく、人生にもリスクが大きいか経験者の意見も聞く必要があると思う。    


私は自分で言うのも何だが、いじめる人の気持ちは全くわからないが、いじめられる人の経験はよくわかる。自分も小学生の頃いじめられていたからだ。


あまりに昔の話でほとんど覚えてないが、思い出そうとするたび、腹が立つ。私は小学生の頃、確かにいじめられていた。友人だった3人ぐらいから。思い出せるのは、例えば、休み時間に球技をしている時にボールを遠くに投げられ取りに行かされたり、当時太っていた為デブ呼ばわりされたり、あとは顔がすぐ赤くなることもいじられたり、乾燥肌によるふけもなんか言われてたかな。そんなにめちゃくちゃ辛いという記憶は無いのだが、先生が自宅訪問か何かで親にいじめのことを話してたのと、あといじめが原因かはわからないが当時抜け毛がひどかったことも覚えている。


私が幸いだったのは、その友人以外にもたくさんの友人がいたことだった。いじめてきた奴らは高学年から仲良くなったが、それ以外の友人はもっと前から付き合いがあった。基本はそのいじめてきた友人と一緒にいたが、たまに地元の友人といる時間は子供ながらに安心していた記憶がある。クラスのそんなに仲良く無い人達も私がいじめられてるんじゃないかと先生に言ってくれた。私はいじめられた経験のある人の中ではかなり恵まれたほうだったに違いない。思い出すと、彼らの勇気や正義感には今更ながら感服する。


しかし、先生に言ったところで何かが解決したわけでもなかった。いじめがエスカレートすることもなかったが、小学生を卒業するまではいじめてくる友人とは付き合いがあった。


最終的には中学になり、私が彼らを裏切る形で縁が切れた。その友人らとはよく野球をしており、中学に入ると皆で野球部に入る話を良くしていた。しかし、私は結局彼らと一緒にいるより、他の友人と一緒にいたかった為野球を辞めた。運良くクラスも地元の友人達と一緒だった為、いじめてきた奴らとはそれできっぱり縁が切れた。まぁ、その後もちょくちょくあった気がするがあまり覚えていない。


当時確かにいじめられて辛かった。学校に行きたくないと真面目に思っていたし、3ヶ月に1回ぐらいは仮病で休んだりした。かといって孤独になる勇気もなく、何となく我慢して友人関係を続けていた。死にたいと思ったことはないが、確かに辛かった。


いじめられた経験は未だに私の人生に影響を良くも悪くも及ぼしている。全てをいじめのせいにしたくはないが、例えば、①常に鬱っぽい、元気がない②人間関係が嫌い、チームプレーが苦手③人に注意できない、遠慮してしまう④人を小馬鹿にしてる人を必要以上に軽蔑してしまう、判官贔屓 等私という人格を形成するのにいじめられた経験は確かに影響している。子供の頃に辛かったら、正直、なかなかその後の人生も明るい未来は想像できない。さらに言うと、いじめてきた友人のせいで私は大好きな野球も辞めて別の道を歩むこととなった。野球漬けで勉強もしない学生生活になっていたら、良くも悪くも人生変わっていただろう。いじめというのはそれぐらいその後の人生にも影響を及ぼすものなのだ。


経験者の私から見て、いじめられやすい人の特徴として、一番大きいポイントは優しいことだと思う。自分で自分のこと優しいと言うのかと批判されるかもしれないが、当時私は確かに優しかったと思う。自分の方が体は大きいのに何をされても無抵抗、ヘラヘラ笑っていた。反撃しない人はやはりいじめられがちである。反撃して1人になるのが怖かったのかなと今思う、いじめられてたとは言え、彼らといる時間がその時は一番多かったから。今の自分はそれでも昔よりは優しくなくなった為、しょうもないことされても反撃してしまうだろうが。


結局、高校は完全にたまたまであるが、知り合いが全くいないところに通うこととなり、彼らとは完全に縁が切れた。高校ではいじめられることもなく、真面目に学生生活を送ることができ、成績は学年トップ、彼女もできた。高校に入り私の人生は一変したと言えよう。中学の時は目立つといじめられるかもしれないという気持ちが、何事にも消極性を生んでいた。


高校で自信をつけた私は、大学に入り中学の知り合いにも大分変わったとよく言われた。地元の仲の良い友達からはそんなこと言われたことなかったが、人間が自信をつけると本当に色々変わって見えるらしい。中学の時には見向きもされなかった女の子に好意を寄せられたりもした。そして、成人式の時、自分をいじめてた知り合いと中学以来再会した。


その時会ったのは最も自分をいじめてたしょうもない奴で、性格に欠陥があった。私の中では他の奴は許せても、こいつだけは許せないという奴だった。私は成人式の日、別のグループの人達と一緒にいたのだが、彼は1人でふらふらしており私を見つけてこっちに来た。私の周りをじろじろ見ながらぐるぐる周り、『えー、えーー、えーーーっ、変わりすぎやろ』と言った。周りの友人は小学生の頃を覚えていたのかわからないが、黙って冷たい目で見ていた。私も不愉快だったのを覚えているが、どんなリアクションをしたのか覚えていない、もしかして無視したのかもしれない。とにかく、彼はまた1人でふらふらしてどっかに消えた。それ以来彼とは会っていない。


成人式の時、私は本当に知り合いのいない高校に行って、頑張って良かったなぁと思った。いじめられてた奴に会っても何もびびらなかったし、むしろ見下していた。小学生の頃から体格差はかなりあったのに。


懐かしい話をしてしまったが、私はいじめに関しては、いじめる側に100%問題があると思っている。確かに中学、高校の時に他にいじめられてた人を見ると変わった人が多かったけども、それはもともとその人がそんな人間であったのではなく、いじめられて、辛くておかしくなってしまっただけである。もしくは、表面的な部分しか見られておらず、ちゃんと話せば普通の人であることが多い。


なので、いじめられている側にどうしろと言うのは、いじめの初期段階ではいいかもしれないが、ある程度いじめられてからはどうしようもない。私も今覚えば自分よりも力も頭もない奴に何故反撃しなかったのか不思議に思うが、当時は反撃しようなんか微塵も思わなかった。それが当たりでいじめられている間の心理はある種、洗脳されている状態に近い。DVを受けている人と同じような心理じゃないかなと思う。


そして、いじめを傍観してる人もいじめだというのもいささか無理がある。学生の時にいじめを止める勇気がある奴なんてそうそういない。それは自分がいじめられるのが嫌とかではなく、単に恥ずかしかったり、自分のことで精一杯でそんな余裕がないだけだったりする。学生の時はある意味社会人より忙しいし、それは致し方ない、責める事はできないし、いじめられていた側からすれば、傍観してた人のことなんて正直何とも思っていなかった。


先生も責められない・・わけがない。先生は責任ある、絶対。先生は往々にしていじめが誰かからの告げ口で発覚してから動きだすわけだが、ちゃんと普段から生徒のこと見てればいじめの存在に普通気づけるはず。いじめの対処はやはり早ければ早いほうが良い、ある程度いじめが進行してからはどうしようもないこともあるのだ。それを薄々いじめに気づいているのに、放置して、問題が大きくなってから動き出すのは無能の極みである。先生は仕事でやってるんだから、解決しないといけないでしょ。他にも仕事があって大変というのは甘え、競争に負けたら自分が食っていけなくなる民間のサラリーマンの方がよっぽどキツいと思う。


話は剃れてしまうが、学校の先生って今はわからないけど、明らかに社会に馴染めなかった変わりものの集まりな印象しかない。どうみても仕事できるようには見えないし、冴えないし、社会経験も常識もない。よくモンスターペアレントの話がされるが、それは今の構造では仕方がない。だって、先生は親御さんよりも世間を知らないし、頼りにできないから。勉強教えるのなんて、大学生のバイトでもできる。現に大学受験の予備校の先生や家庭教師ってバイトだったりするわけで。じゃ、学校の先生って何やってんの?って思う。勉強以外の事をちゃんとやってくれないと学生バイトと同じじゃん。学生バイトと差を付けれるのは社会経験なはずなのに、先生以外やったことないって人が何を教えることができるのか。私は先生は全てどこかの企業である程度働いた人を中途で採用するべきだと思っている。そして、先生同士もっと競争しなさい。


話は逸れたが、それではいじめを解決する為にはどうしたらいいのか、私は単純に当事者同士を一緒にさせない環境を作ってあげるのが一番だと思う。


合う、合わないは人間だからある。どうしてもむかつく、気にくわない奴がいるなら無理に一緒にいる必要はない。具体的にはいじめがわかっているならクラス替えでその子達は一緒にしない、いじめる側がマイノリティなクラスを作る等である。いじめる奴は友達が全くいないクラスにいれ、そこで孤独を味合わせる。いじめられる奴も新しいクラスでもいじめられるようなら人間的な成長を促す。クラス替えは半年に一回行い、なるべく関わりが少ないもの同士を関われるようにする、これにより今まで強い立場だった人も弱い立場だった人も自分を客観的に見れるようになるし、周りに合わせようと努力をするようになる。そして、最後のクラス替えはもう生徒の好きなようにやらせればいい。


学力等でクラス分けするのもある程度は有効だと思う。いじめる奴は大体自分よりしょぼいと思ってる奴をいじめるわけで、クラス全体が自分と同じようなレベルのクラスならばなかなか威張ることもできない。いじめられている子もとりあえず勉強さえがんばれば、ほの状況から一時抜けることはできる。


それでもダメなら転校すればいいし、学校がダメなら自分の好きな所で勝負すればいい。それがネットの中の人間関係でも何ら問題はない。今の社会、相当良い学歴を持ってる人以外は中退だろうと高卒だろうと何ら変わりはない。しょうもない大学行くぐらいなら手に職つけた方が良い時代だし。


最も大事なのは、子供の頃から村社会のような人間関係を当たり前にさせないこと。いつも同じ友人といつも同じ場所にいるのではなく、様々な繋がりを持たせる為の努力を親はするべきである。学校がダメでも習い事で友人がいる、クラスはダメでも部活で、部活がダメでもネットの友人がいる、友人はいなくても家族がいる、とどこかで安心できる環境があればいじめがいくら辛くても耐えられると思うんだけどな。


あとは、いじめる側がリア充、いじめられる側は負け組という社会の印象づけも良くない。ドラマとかでも大体いじめっ子の方がイケメンで彼女もいたりするわけで。そういうやんちゃなのがかっこいいっていう風潮も無くなればいいと思う。いじめる奴はモテないし、カッコ悪いっていう社会になってほしい。でも、それは実はだんだんそういう風潮にはなってきている。人気のある俳優さんとかかわいい顔してるし、若いスポーツ選手も優しい感じの人が多い。芸人も高学歴ながり勉タイプの人が増えてきているし、自己主張強い性格や外見の人ってほんとに減ったと思う。なので今まで陰キャラとしていじめられてたタイプの人が、女子からかわいいと言われるような時代も夢ではないのである。


ただ、そこで立場が逆転した時、虐げられていた人達は調子に乗らないでほしいなと。いじめられてきて良かったと思うのは弱い立場の人の気持ちがわかるようになったことだと思う。そんな気持ちに他の人をさせないように、今いじめられている人は逆にチャンスだと思い耐えきり、良い大人になってほしい。学生の時いじめられていても、腐らず生きていれば、社会から淘汰されるのはいじめる側の人間だから、時間は掛かったとしてもそれだけは私は自信を持って言える。人間の目というのはなんやかんや鋭くて、最初はいじめてる側にみんな加担してたとしても、真っ当に生きていればみんなそれがおかしいことだと気づいてくれる。


でも、辛ければ別に今の環境に固執する必要は全くない。あなたが本当に真っ当に生きているならば、環境が変わるだけで嘘のようにいじめられなく可能性は高い。いじめる奴は頭がいかれてるごく一部の奴で世の中の大多数の人はそんな残酷な事はしない。だから、少し頑張って無理だったら今いる環境を手放せばいい。何年か経ってふと気づけば、自分をいじめてた奴らより、自分がどれだけ幸せになっているか実感することができるだろう。