我が20代を振り返る② リーマンショックと就活

20代を振り返る日記、今回は21歳の頃にタイムスリップをしてみる。

大学三回生、私はそれまで通っていたキャンパスから京都市内のキャンパスに移動し、人生で初めての一人暮らしを始めていた。今思えば、三条や四条、ちょっと頑張れば京都駅まで自転車で行ける所に住んでいたなんて身分不相応もいいところだが、1、2回生の時よりも自由な気持ちで毎日が過ごせたし、ゼミも始まり友達も増えたことで恐らく三回生の前半は大学生活で一番楽しい時期だったと思う。


例の失恋もあったが、サークル活動は基本的に興戸のキャンパスにまで行かないとテニスができないため一気に熱が冷めていた時期でもあった。サークルの友人よりも学部の友人といる時間が多くなり、よくみんなで集まってお酒を飲みながらスマブラをしたり、将来について語り合ったりしたものだった。その時には彼女もできたり、確実に大人の階段を一歩一歩登っている感覚はあった。


そんな楽しい前半とは違い、後半は厳しい厳しい日々であった。就活が始まったからだ。

私は学部の友人が基本的には真面目な奴らで本当に良かったと思う。当時の私は大学に何となく入学したものの、その後一体どういう流れで卒業後社会に出て行くのか全く知らなかったし、どんな企業があって、どこが人気なのかも無知であった。秋に友人に連れられて参加した大学の就活セミナーで初めて就活というものを知り、自分の将来を本気で考え始めた。


私はあまりに社会を知らなかった為、とりあえず聞いたことのあるヨドバシカメラ紀伊国屋書店等自分が良く買い物に行くいわゆる小売業界が人気なのかと真面目に思っており、メーカーとか商社なんて聞いたことないなーと思っていたが、マイナビの人気ランキング等がうまいこと私を日本社会とはこういうものだということを教えてくれた。


就活は最初の方は楽しかった。大学に色んな会社の人事の人がセミナーを開いてくれ、どの企業の話も本当に面白かった。今思えば株主総会で株主に対して経営方針を説明するのに近い内容であったし、その企業の顔として仕事を任されている人事の人はみんな魅力的だった。


そして、冬になりいよいよこちらから会社に行ってセミナーを受けたり、選考を受けたりするようになった。この経験も実に今役に立っている。私は友人らと同じく、1日午前中から夜まで無駄なく大企業の説明会をスケジュールしており、その殆どが大阪や京都の各所で開かれていた。その為、大阪の地理にとても詳しくなり、今でも大阪の梅田等でも迷うことなく行きたい所にスムーズに行くことができるようになった。プライベートやデートで自信を持って大阪や京都を案内できるのはありがたいスキルである。


ところで、私の友人はリア充で真面目な奴が多かったから毎日1日中企業のセミナー等に脚を運んでいたし、私もそれが当たり前だと思っていた。しかし、先輩を見ても後輩を見てもそれはかなり真面目に就活をやってる部類に入るようだったし、見境がないとも言われた。なぜこのような温度差があったかというと我々の世代はある事件により就職氷河期の再来と言われていたからである。


リーマンショク。当時はリーマンショク、何それ?ぐらいの感覚だったが、今ならそれがどれだけの大事件かわかる。とにかく、我々は運が悪かった。リーマンショクのせいでほとんどの企業は採用数を減らしていたし、中小企業は採用をしないというところも多かった。企業側はこんな時こそ内定された人はその後会社で活躍できるだろうとか呑気なことを言っていたが、こちらは生きるか死ぬか、必死である。一個上の代は楽々内定取れてたのに、そこから一気にこんな不景気に陥るなんて不平等もいいとこである。


3月に入り、企業セミナーに行くだけの時期は終わり、ついに書類選考や適性検査が始まった。ESは何枚も書いた。最初は何の攻略法も知らず、素直に書いていたがそれでは普通に書類選考すら落とされた。減点方式、いわゆる脚切りにあわないためにマニュアル通りの書き方をマスター。志望度が高い企業の選考が始まる4月には、面接まではとりあえず行けるようにはなっていた。



そして、4月、面接ラッシュ。結局、私は恥ずかしながら4月に入っても志望業界すら無かった。とりあえず、名前を知ってる企業に内定貰えたらもうそこでいいやと就活に疲れ切っていた。それまでの人生の中で最も厳しい経験であったし、最も重要な1ヶ月であった。


面接を受けた多分20社ぐらいの中で半分程は集団面接で落とされた。個人面接に行けた企業の中で3次面接に行けたのもまた半分ぐらい。絶望感漂う中、大企業だけでなく地方で選考がある中小企業の選考にも平行してエントリーするようになった。


面接は性に合わなかった。何故なら、私はそもそも人見知りであるし、第一印象が良いと言われたことなんて生まれて一度も無かった。自分には何の価値もないし、そんな自分の何をアピールしろってんだよと路頭に迷っていた。結局この性格は未だに改善しきれてなく、結果は出すのにアピール力が全く無いというのは今の私ですらよく言われる。


そんな中で唯一面接でめちゃくちゃ怒られたのが実は私が今働いている会社である。一次面接の時、うちの会社でどうなりたい?会社をどうしたい?と聞かれてうまく答えれず、その後会社の数字等をテストされ全く知らなかったことが原因であった。こっちは本気で君と向き合っているのに、君はうちの会社のことを知らなすぎるとガチで怒られた。最後に次は期待してるからもっと勉強してきなさい、と。


その面接で私のやる気スイッチが入った。その後何度か面接があったのだが、あまり覚えていない。が、私は確かにその会社の選考に対しては他の企業以上に勉強して臨んでいた。そして、選考が進むに連れてここしかないという気持ちになっていった。


最終面接も少し怒られたのでよく覚えている。今は会社内では役員をやっている雲の上の人が相手だった。私は最終面接で緊張しまくり、大したことを言えなかった。普通なら落ちていただろう。しかし、その場で内定が貰えた。いわゆるポテンシャル採用というやつだった。


君今まで苦労してこなかっただろ?その才能と体を作ってくれた両親に本当に感謝しなきゃだめだよ。


最終面接でそう言われた。思わぬ言葉だった。そんな事はない、人並には苦労してきた・・はずだと振り返ってみたが、確かにそれまでの私の人生は努力以上の結果が出ることが多かった気がするし、本当の意味での苦労はこの就活が初めてだったかもしれない。必死にならずとも何となくここまでこれた私の人生だった。


なにやら、私は面接の前のSPIと言われる能力テストが選考を受けていた学生の中でトップクラスの成績だったみたいだった。我が社のテストは何故か異常に難しかったのだが、確かに運良く自分の得意な問題が続き集中力もあり手応えはあったのを覚えている。慶応の首席の子も受けていたが、私の方が良かったらしい。なのに、大学の成績はイマイチだし、面接でも全然力を発揮できていない、でも一緒に働いてみたいから、お願いします、と。


その時は本当に嬉しかった。もしかしたら、人生で一番ほっとした瞬間かもしれない。その後は選考が残っていた企業を受けて、もう一社内定を取ることができたが、私の気持ちはもう決まっていた。



よく人事の人は縁がなかったという言い方をするが、本当に縁というものは不思議である。今はこの会社以外で働く自分を想像することができない。縁というものはあるのだと思う。


就活によって様々な企業のことを知ることができ、本当に人生に二度とできないかけがえのない経験となった。あの頃の厳しさを思い出すと、今のぬるま湯につかりかけている自分の仕事に喝を入れたくなる。あんなに必死になって掴んだ内定、今の自分ももっと頑張らなきゃいけないのではないだろうか。


結果的に私は4月の終わりには就活を終えた。学部の友人も何やかんや自分と同じぐらいの時期に就活を終えた。中には、大企業ばかり6社の内定を貰えたイケメンもいたが、彼はその中から選らんだ1社をすでにやめ、外資企業に転職した。私も今や管理職となったし会社もどんどん成長している。皆頑張っている、皆に会いたい、この日記を書いて懐かしくそう思えた。