我が20代を振り返る③ 驚きのクリスマスプレゼント

過去を振り返ると懐かしい気持ちになり、早く次の一年を書きたいという珍しい衝動に駆られる。日記は書ける時に書く、というのがポリシーなので続けて書いてみる。


22歳は大学四回生、人生の第一幕の最終章と言えよう。就職をなんやかんや4月で決めてしまい、卒業するのに必要な単位もあとわずかであった為、私は最後の一年をどう過ごせばいいのかわからなかった。もし、今の私が一年間自由に過ごせるとなれば、必死にどう過ごそうか考えるだろうが、いかんせん当時の私は視野も狭ければ、世間も知らなかった。結局、適当に授業を入れて学校にはなるべく通い、バイトもそれなりにやり、サークル活動も時間がある時は参加するという、至って普通な過ごし方をした。


バイトはその頃、サッカーの試合場の設営とボールボーイをやっていた。ガンバ大阪京都サンガの競技場、当時はどちらもJ1で、私は物心ついたときからの名古屋グランパスファンでJリーグが好きだったのでこのバイトは本当に楽しかった。テレビでしか見たことがないサッカー選手を間近で見れるし、怪我した選手を担架で運んだりもした。また、ライブの警備等もしていたので、SMAPや嵐等のライブで生ジャニーズを初めて見れたのも感動した。


話が逸れたが、時間があればあるほど、私はこの何も成し得なかった大学生活を悔やんでいた。四年間もあって、俺は一体何をしてたんだろう。流されるように授業を受け、流されるようにサークルに入り、適当に恋をして彼女ができたり振られたり、それらに本当に自分の意志はあったんだろうか。高い授業料払って、これでいいのか?私は常に考えていたが、結局卒業まで何かを成し得たという達成感を味わうことは無かった。弁護士になると言って彼女も作らず勉強していた友人、お笑い芸人になると言って吉本興業に入ろうと頑張っていた先輩、オリンピックを目指しシンクロの部活に明け暮れていたゼミ仲間、達が羨ましかった。


心のどこかで物足りなさを感じていても、学部の友人やサークルの先輩、後輩と過ごす大学最後の時間は本当に幸せなものだった。唯一大学生活で自分が得たものはこの友人達であった。就職して度重なる転勤もあり、そのほとんどとはなかなか会えない状況だけど、今でも彼らのことは忘れない。


夏、サークルのテニス合宿では本当にたくさんテニスをした。大学一回生の頃に比べると大分実力はついたし、何よりたくさんの後輩が入ってくれ、地味だったサークルの印象は随分明るいものとなっていた。ちなみに、私が最後にサークルの人とあったのが四年前ぐらいなのだが、今はギャルサーと化しているらしい。歴史は変わるものである。


学部の友人らとは年末前にグアムに旅行に行った。実は私はその後仕事でアメリカや他の国に行ったことはあるのだが、旅行で海外に行ったのはこの時が最初で最後である。夢のような時間であったが、その旅行が終わる頃には私の気持ちはもう卒業と就職に対しての絶望感しかなく、今思えば恐らく大学最後の3ヶ月ぐらいは人生で一番辛い気持ちだった気がする。


クリスマスには当時好きだった後輩と大阪の梅田の何とかタワーの展望台にいた。秋ぐらいからいい感じになり、2人で何度かデートする仲となっていた。大学時代に付き合っていた彼女はいたのだが、それも高校時代同様言い寄られて付き合っており、自分から女性にアプローチしてうまくいったことはなんと大学四回生にもなっても無かった。またまた、相手の後輩は誰とも付き合ったことがないウブな子で自分が引っ張っていかなきゃならないのに、どうしても振られるのが怖くて告白はできなかった。本当に意気地なしである。


ちなみに、その後輩の子も隣の女子大の子で、あの二年前の失恋の悪夢が思い出された。それでも、今回は二年前よりも脈はあった。クリスマスだけじゃなく、初詣も私の地元の奈良で一緒に過ごしたし、メールでお互いに好きと言い合ったりしていた。

そんな空気を一変するクリスマスプレゼントが会社から届く。一年目、初配属先の通知書がわざわざクリスマスの夜に届いた。我が社は全国に勤務地がある。最初だし、一応希望は関西で出したから関西のどっかかなと甘い予測をしていた。しかし、結果は関東の埼玉であった。これも運命、埼玉に行くことで私の人生は一変するのだが、当時の私は確かに地元関西を離れること、皆と別れる、特に好きな彼女と別れることにかなり落ち込んでいた。


彼女もショックを受けていた。が、その後もそれまで通り2人で会ったりしていた。私は悩んだ。この好きな気持ちをどうすればいいのか。遠距離でも何とかなるだろうか?そもそも仕事の忙しさもわからないし、不安はある。この気持ちは蓋をするしかないのかもしれない。


が、やはり胸にしまい込むことはできなかった。結局、告白することにした。メールで告白することをにおわせて、大阪で会った。あまり覚えていないが、私はガチガチになりながら梅田のヨドバシカメラで告白をしたはずである。それだったら、クリスマスに展望台の上でしとけよとツッコミたい。


その時、彼女がどんなリアクションだったのか覚えていないが、なんとなく振られて気まずくなったような気がする。そして、彼女は餞別に好きな本をくれたのだが、そこに一緒に手紙も入っていた。そこには今はまだわからないけど、先輩とはずっと良い関係でいたい、大好きです的な事が書かれていた。嬉しいような切ないようなそんな気持ちで大阪から奈良まで帰った。


ここで、彼女と綺麗に終われてたら、なんと美しいストーリーだったろう。当時の私は地元を離れる寂しさと彼女と別れる気持ちに押しつぶされそうになりその後、埼玉に行った後、優しい彼女に醜態を晒す。人生最大の後悔と言えよう。今ではもう彼女がどう生きているのかさえ知りようがない。まぁ、それは次回書くかわからないが、今回の範囲外である。


大学の卒業式。たくさんの友人と別れを告げた。卒業式で別れを告げたのは授業等で会えば話をする
程度の仲の人達だったが、それだからこそもう一生会わないんだろうなと思って余計に寂しかった。別れは今も苦手である。

卒業式が終わった後は確かゼミ仲間と最後の晩酌をしたのだったかな。あまり覚えてないや。

大学の友人とはそれから一年に一回ぐらいのペースで会っていたのだが、近年は会っていない。別れと同じぐらい多くの出会いがあり、人間関係は更新されていくものだが、働き出してから出会った人と学生時代の友人ではやはり違う感情になる。結婚式で皆に会えるかな。



卒業数日後、ついに私は地元関西を離れ、全く馴染みの無い埼玉に向かって京都で新幹線に乗った。それから信じられないペースで私は転勤をしていき、引越なんて慣れたものになっていくのだが、この時は新社会人としての不安+地元を離れる不安の両方で押しつぶされそうになっていた。埼玉では新入社員にしてかなり色々な事を経験することになる。人生の第二幕の始まりである。